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 札幌市内の川を歩く


 研究所内を流れる精進川および豊平川を渡って対岸の鴨々川、創成川を歩いてみました。

研究所内を流れる精進川沿いの千島桜は有名です。
 研究所の一般公開は毎年7月に行われます。

精進川の落差工
 

鴨はどこ?保護色?

7羽くらいの鴨が精進川で日向ぼっこ。

小学校横の看板です。

小学校の横を歩きました。

小学校横にある小公園(豊中公園)。中の島駅から5分。

  

研究所の対岸の中島公園

春の中島公園


北海道の開拓が始まった頃、現在の中島公園は豊平川上流から流送されてきた木材の貯木場として利用されておりました。
木材は鴨々川下流の運河(大友堀、創成川)を通じて、建設場所まで配送されたと言われています。

 

春の中島公園

明治の札幌(丘珠空港ロビーの展示資料)

明治の札幌(丘珠空港ロビーの展示資料)中心部拡大

中の島が豊平川の中島(現在の豊平川と精進川の間)だった頃の状況が良くわかります。

札幌市街之図 1889年(明治22年)

北大北方資料データベース

https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/

創成橋の復元
TV塔近くの創成橋(南1条)は、明治四十三年に架橋された歴史的な橋梁です。 この碑には、復元までの経緯が記されていました。

大友亀太郎像

現在のバスセンター付近には、1871年以降、各種官営工場が作られ、当初は輸入された水車動力で機械を動かし、製粉や木工などの工場が稼働して、北海道開拓の原動力となりました。

札幌市街之図 1929年(昭和4年)

北大北方資料データベース


研究所の近くに水車町という地名がありますが、
かつて豊平川の分流部に水車を動力として製粉等を営む水車小屋が7軒あったことが地名の由来です。
この地図を見るとその頃の中の島付近の地理がわかります。

豊平川堤防 鴨々川大水門 落成式 1884年9月(明治17年)

北大北方資料データベース


鴨々川水門は、明治4年に初めて建設されましたが、何度も水門が破れてその度に札幌市街が水浸しになりました。


鴨々川水門【札幌開発建設部】治水100年
https://www.hkd.mlit.go.jp/sp/kasen_keikaku/kluhh40000000wdg.html

中島公園内を流れる鴨々川

創成川・鴨々川 川めぐりマップ(札幌市)
https://www.city.sapporo.jp/kensetsu/kasen/menu0902.html 豊平橋の変遷(札幌の今昔記)
https://sapporo-jouhoukan.jp/sapporo-siryoukan/lekishibunko/konjaku/hashi/hashi.html





 

下記のリンクなどで近くの素敵な水辺を見つけ、歩いてみると新しい発見があるかもしれません。
「ミズベリングプロジェクト」国土交通省のページ
 https://www.mlit.go.jp/river/kankyo/main/kankyou/machizukuri/natunomizube/index.html